航空自衛隊のブルーインパルスが所属する松島基地(宮城県東松島市)は、2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに伴う津波により壊滅的な被害を受けました。
松島基地では、駐機場と格納庫に駐機していた戦闘機、練習機、救難機など28機がすべてが水没しました。
しかし、ブルーインパルスは他の基地にいたため水没を免れ、現在「復興の象徴」となっています。
東日本大震災でブルーインパルスが水没を免れ復興の象徴となった奇跡
2011年3月11日の東日本大震災当日、ブルーインパルスは九州州新幹線全線開通記念の展示飛行をするため福岡県の芦屋基地にいました。
結果、ブルーインパルスは水没を免れ、現在も航空祭では展示飛行でその雄姿を楽しませてくれています。
が、
私は 東日本大震災当日の状況についてはテレビドラマ「空飛ぶ広報室」を見るまで知りませんでした。
テレビドラマ「空飛ぶ広報室」の最終回では、東日本大震災での松島基地の様子や「災害派遣は勝利なき戦いである」という自衛隊の苦悩をリアルに見せてくれています。
東日本大震災時の松島基地
松島基地は、東日本大震災で津波に襲われ、駐機場と格納庫に駐機していた戦闘機、練習機、救難機など28機がすべてが水没しました。
【震災特集】復興の象徴になったブルーインパルスhttps://t.co/yWOl7Kb1ow
航空自衛隊のブルーインパルスが所属する松島基地(宮城)は、東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けました。ブルーインパルスが松島基地へ帰還して復興の象徴となるまでの2年間を振り返ります。 pic.twitter.com/BN07p3CMzL— ウェザーニュース (@wni_jp) March 11, 2018
この中には、芦屋基地に行かずに松島基地に残っていたブルーインパルスの1機(T-4)も含まれていました。
「津波の警報」があってから津波が来るまで30分以上の時間があったにも関わらず、なぜ一機も飛ばすことが出来ず、すべて水没させる結果となったのか?
その辺りの話についても、テレビドラマ「空飛ぶ広報室」の最終回では語られています。
「飛行機全28機」は失ったものの、それは「多くの人的戦力(人命)の損失」という最悪事態を回避するため、「飛行機12機の空中退避」という最善の追求ではなく、「飛行機全28機」を失っても「隊員全員を守る」という次善の策を追求したという危機管理の成功事例なのではありますが、その時の航空自衛隊員が感じた無力感は計り知れないものだったでしょう。
その後は、二度同じ状況にはならないようにとの対策が行われているとのこと。
それらを知ってからは、入間航空祭で見る「ブルーインパルス」の展示飛行の見え方が大きくかわりました。
東日本大震災時の自衛隊の苦悩
これもテレビドラマ「空飛ぶ広報室」を見て始めて知ったことですが、自衛隊では 東日本大震災においての 救援活動の「活動範囲の線引き」にも苦悩があったそうです。
被害にあったお宅の瓦礫の撤去などを自衛隊員は本来してはいけないとのこと。
自衛官は救助活動以外で私有地に入ることを禁じられているため、(私有地)では石ころひとつ拾うことができません。
地元の了解を得てから基地司令ら「基地から流された流出物を捜索せよ」との命令が下されたとのこと。
無理やりの名目ですが他に方法がなくそのような手段になったと。
問題になったら基地司令の首が飛ぶという状況で、そのような指令をだすことに決めたんだとか。
これらは、テレビドラマ「空飛ぶ広報室」での話です。
ですので、これらの全てが全て実話とは言えないかもしれません。
が、
このドラマには「防衛省」「航空自衛隊」「防衛大学校」が協力していますので、全く事実と異なることを描いているとは考えにくいのです。
現実もほぼ同じ状況だったのではと想像できるエピソードではないでしょうか。
ブルーインパルス隊員の苦悩
ブルーインパルスのパイロットらクルーは、福岡県の芦屋基地に機体を残し、震災発生から3日後に松島基地に帰隊。
松島基地がある東松島市は、死者1132名(災害関連死66名含む)、行方不明者23名、全壊5519棟、半壊5558戸という甚大な被害。(2018年2月28日現在)
ブルーインパルスの隊員も家族が被災していましたが、被災住民のために炊き出しや給水などに励みました。
この頃のブルーインパルスを記録したドキュメンタリー映画が『絆-再びの空へ』
この映画の中では、被災地の過酷な現実を体験したブルーの隊員たちが「飛ぶことが復興につながるのか?」「本当に自分たちは飛んでいいのか?」と葛藤を抱えていた様子が描かれています。
ブルーインパルス松島基地に帰還
2012年度にブルーインパルスは松島基地へ帰還することになりました。
2013年3月25日には芦屋基地で「ブルーインパルスお別れフライト」と題した展示飛行と帰還記念式典が行われ、2年前の九州新幹線全線開通記念の展示飛行(←東日本大震災で中止)で飛ぶはずだった演目「サクラ」が披露されました。
もしブルーインパルスが水没していたら?
もしブルーインパルスが水没していたら、この先何十年も「ブルーインパルス」の復活はかなわなかったと言われています。
松島基地で東日本大震災で水没した航空機は28機。
その被害総額は(航空機だけで) 最大2300億円に上るといわれています。
F-2(全18機:1機約122億円)・UH-60J(4機:1機約47億円)・その他、T-4(4機)・U-125A(2機)の被害です。
「ブルーインパルス」の新規調達は難しい状況だったのです。
ブルーインパルスの隊形「フェニックス」
2016年から追加されたブルーインパルスの隊形「フェニックス」
この隊形は復興を祈願して披露されたもので、ブルーインパルスの1番機が頭、4番機が尾、残る4機で大きく広がる翼を表す「不死鳥フェニックス」となっています。
まとめ
というわけで。
今、航空祭などでブルーインパルスがその雄姿を見せてくれているのは当たり前のことではなく、東日本大震災での苦難と奇跡の上に成り立っているということがよくわかりました。
以上、
「東日本大震災でブルーインパルスが水没を免れ復興の象徴となった奇跡」についてのお話でした。
ではでは。
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