TBSのテレビ番組「世界遺産」で放送されたトルコの大奇岩地帯「カッパドキア」。
今日午後6時放送のトルコの大奇岩地帯、カッパドキア。壮大な景観は、太古の火山活動によって生まれました。写真は大噴火で陥没した火山の跡。カルデラになり、エメラルドグリーンの湖が出来ています。#世界遺産 #トルコ #カッパドキア #火山 #カルデラ 湖 pic.twitter.com/6fVlICgNat
— 世界遺産 (@heritage_TBS) November 16, 2019
奇岩群で有名な「カッパドキア」ですがどうやってできたのかとても不思議ですよね~。
なんと!「カッパドキア」の奇岩のでき方がこれまでに考えられていたことと違うことが最近になって判明したんだとか!!!
というわけで、「カッパドキア」の奇岩群のでき方とその見どころをまとめましたのでご紹介したいと思います。
【もくじ】
トルコの世界遺産「カッパドキア」について
トルコの世界遺産「カッパドキア」の場所は上記の通り。
トルコの中央アナトリアの歴史的地域、あるいはアンカラの南東にあるアナトリア高原の火山によってできた大地が「カッパドキア」です。
奇岩群で有名な「カッパドキア」ですが、その奇岩群はどうやってできたのでしょうか?
[トルコ]奇岩と地下に掘られたキリスト教徒たちの隠れ家、地下都市。ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡。村そのものが奇岩でできており右を見ても左を見ても奇岩だらけ。ローマ帝国の迫害から逃れて無数に掘られた巨大地下都市がある。 pic.twitter.com/aK8OJPvumb
— 【厳選】世界の絶景 (@gensen_zekkei7) November 16, 2019
カッパドキアの奇岩群のでき方は?どうやってできたの?
カッパドキアの奇岩群はどうやってできたのか?
簡単に言うと「火山の噴火」と「雨風による浸食」でこのような奇妙な形が作り出されました
巨大なキノコ岩にも、ロマンチックなネーミングがされました。「妖精の煙突」。こうしたカッパドキアの不思議な景観はなぜできたのか、11月17日(日)午後6時からの放送で紹介します。#世界遺産 #トルコ #カッパドキア #妖精 #煙突 #奇岩 pic.twitter.com/O9CwQWaj5M
— 世界遺産 (@heritage_TBS) November 15, 2019
岩がキノコのような形に浸食された理由に関しては、これまで岩の上部と下部がそれぞれ固さが違う岩(「下:凝灰岩」「上:玄武岩」)で出来ているためと思われていました。
が、
最近そうではなかったことがわかりました。
奇岩の下の部分と上の部分はいずれも「凝灰岩」でできていたのです。
* 凝灰岩・・・火山灰や火山砂が固まったもの(柔らかい)
* 玄武岩・・・溶岩が固まったもの(固い)
・奇岩の上の部分:玄武岩
→「凝灰岩」と「玄武岩」は固さが違うのでキノコのような形に浸食されていった。
→そうではないことが最近わかる。
→上と下の「凝灰岩」では作られた時代と環境が異なる
それでは、どうしてキノコのような形に岩が浸食されていったのか?
最近判明した「奇岩の謎」について、2019/09/17放送のTBSテレビ番組「世界遺産」では以下のように語られていました。
・奇岩の下の部分と上の部分はいずれも「凝灰岩」
・上と下の「凝灰岩」では作られた時代と環境が異なる
・奇岩上部の色の濃い部分は藻類が覆っている
【カッパドキアの奇岩のでき方】
・かつてカッパドキアには川や湿地があった
・火山の噴火により、火山灰を含む高温の火砕流が湿地に体積
・火砕流で熱せられた水に、火山灰から「シリカ(石英の成分)」が溶け出す
・それが再び冷え固まると岩の強度が増す→比較的固い「凝灰岩」となる
【イメージ図】
石英とは、二酸化珪素(けいそ)を成分とし、ガラスのようなつやがある鉱物。陶器・ガラスの原料にする。水晶はその純粋なもの。
カッパドキアの地下都市の謎
カッパドキアは奇岩群の他に「地下都市」でも有名です。
ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群(トルコ)-古代ローマ時代にギリシア人のキリスト教徒によって建設された地下都市がある。カッパドキア観光の中心地である。#旅行 pic.twitter.com/xxifgcA0dZ
— いつか行きたい!憧れの世界遺産! (@itukaikitai_) November 10, 2019
カッパドキアの地下都市とは?
カッパドキア地方には地下の居住跡が250ほどあり、そのほとんどは2~3家族用なんだとか。
ただ、居住跡の中には地下3階以上の規模の大構造物も40ほどあってそれらが「地下都市」と呼ばれています。
トルコ・カッパドキアの地下に掘られた多数の縦坑・横坑からなる地下都市の画像集。 https://t.co/6PZoKOEtFJ 現地語でデリンクユと呼ばれ、トンネルを掘りやすい凝灰岩の地質を活用している。一部は紀元前から存在したが、4世紀以降にキリスト教徒が迫害を避けて住むために拡張したと考えられている。 pic.twitter.com/VdOGKvdZkz
— Oguchi T/小口 高 (@ogugeo) January 27, 2019
これまでは、1963年に発見され2000家族(約一万人)が住める規模の広さを誇る「デリンクユ」の地下都市がカッパドキア最大とされていました。
が。
2014年の終わりに、デリンクユの北29キロにあるカッパドキアの県庁所在地ネブシェヒル市でデリユンクよりもさらに大きな地下都市が発見されたというからビックリです!
カッパドキアの地下都市は何のために作られた?
カッパドキアの地下都市および地下トンネルは「いつ誰が何のために作ったのか?」という謎に対してはとザックリと「キリスト教徒が迫害を逃れるために作った」と説明されることが多いです。
が、その説は複数あります。
カッパドキアの地下都市デリンクユの紹介記事https://t.co/mYMtstSS9R pic.twitter.com/eeU8pDVNty
— 歴史bot (@history_theory) October 30, 2018
デリンクユを誰が最初に作ったのかは意見が一致していません。
ただ、初期のキリスト教徒がイスラム教徒のウマイヤ朝(661年 – 750年)やアッパース朝(750年 – 1517年)の迫害から逃れるためにトンネルを利用していたとされます。
その後、支配者が変わるたびにトンネルの用途は変化し、シェルターとしての必要性は薄れ、トンネルの利用は減り、冷暗所や地下の納屋として使われるようになったりも。
2世紀から3世紀のローマのキリスト教迫害の時や、8世紀から10世紀のアラブ人の襲撃の際は、再び地下都市の役目が増大しトンネルも拡張されたと考えられるようです。
色々調べてみると、地下都市の説の中には「核戦争」に備えた「核シェルターであった」というものまであり、なかなかおもしろいですよ。^^
位置関係を把握してみると色々見えてきますね。
モヘンジョ=ダロ、ソドムとゴモラ、カッパドキア。
古代核戦争が現実味を帯びてきますね。#都市伝説 #オカルト #歴史 #古代文明 #核 #核戦争 pic.twitter.com/2YHy3w3236— GOLD (@goldchannel369) May 31, 2018
ロマン溢れすぎるカッパドキア。
10万人が収容可能と言われてますが、大切なのはなぜ作ったか?ですよね。
作る必要がなければいけない理由はなんだったのか?#都市伝説 #カッパドキア #古代文明 #核戦争 pic.twitter.com/IRONqSuDSM— GOLD (@goldchannel369) May 23, 2018
カッパドキアの奇岩群はどうやってできた?自然の神秘と地下都市の謎|まとめ
以上、
世界遺産「カッパドキア」はどんな町?奇岩群など見どころ・・・についてのブログ記事でした。
ではでは。
天は赤い河のほとり 篠原千絵
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